お客様への姿勢−悪徳商人の生きる余地

お客様は神様か?
「お客様は神様です。」「お客様第一」 これは商売をする上で、至極当たり前のこととされている。
その一方でお客をだましながら巨利を稼ぐような悪徳商人も存在する。
偉大な起業家にとって、お客様は神様なのだろうか?

▼ 実例

豊田喜一郎
豊田が自動車を販売する際の基本姿勢は、「完全なる営業的試験を行うにあらざれば、真価を世に問うべからず」であり、自らも試作車に乗り、欠陥を改善していった。
しかし製品の信頼性は低く販売当初は故障が続発し、クレームが絶えなかった。
豊田はアフターサービスに力を入れ、故障してもすぐ急行できる体制を整え、顧客からのフィードバックを重視した。改良作業も1年で800箇所という膨大な数にのぼり、故障もみるみる減っていき、ユーザーの信頼を回復していったという。
豊田は「買ってもらう、作らしてもらっているという気持ちがなくてはならない」と言っている。

本田宗一郎
本田は、顧客に迷惑をかけるのをもっとも嫌っていた。
「ビス一本が不良であっても、ホンダの製品は不完全のそしりを免れ得ない。」
として下請け業者にも完全な製品を納品することを懇請した。
これは自動車が、お客さん一人一人の命を預っているという強い認識があったからである。
不良が見つかった場合でも、徹夜につぐ徹夜でこれを見違えるように改善していったという。

松下幸之助
松下も著書「商売心得帖」の中で「お得意先のどれほど役に立っているか、どれほど喜ばれているかに絶えず検討して、自問自答してみるべきだ」と言っている。
そして「絶えず『ここが足りなかったな』と検討を絶えず加えていけば、自分の店が存在する意義も生まれ、商売にもおのずと力が沸き、尽きざる創意工夫も生まれてきて、必ず店も繁栄する。」と言っている。

安田善次郎
安田は、明治9年第三国立銀行(現:みずほ銀行)を創業した。
この頃明治新政府は銀行条例を定め、明治維新で俸禄を受け取れなくなった士族への対策として、銀行の設立を奨励していた。この中で153もの国立銀行が次々と出現していた。
武士の運営する役所風の銀行と違い、安田の運営する銀行は、入店しやすいよう入口に暖簾をかけ(当時の庶民が利用する両替屋は暖簾がかかっていた)、顧客にも丁重をこころがけていた。
このため、顧客への評判もすこぶるよかったという。

藤原銀次郎
藤原は著書「実業人の気持ち」の中で、両替屋を事例にあげ、こう述べている。
「昔(幕末の頃と思われる)、貨幣にも本物に混じって贋物が大量に流通するようになり、両替屋で本物か贋物か見極めながら顧客と取引していたが、見分け方に詳しくない田舎の人間とかを相手にするときは、だいぶごまかしをしてボロ儲けをしていたようだ。ところが、両替屋の中でも、そんなことしないのがあって、たとえ田舎の人間にでも正直に接しているものもいた。維新後調べてみると、ごまかしているような店は、どういうわけかほとんど潰れてしまっていて、正直に接していた店の子孫は繁栄しているようだ。」
つまり、「昔も今もボロ儲けしようと思えばできるのだが、そういうことをして儲けた金は子孫に伝わらない、これは人間業では及ばない神の思し召しだ。」と言っている。

安藤百福
安藤は、「消費者は神様以上の厳しさを持つ」と言っている。
チキンラーメンの爆発的な人気で販売に手が回らなかった安藤は販売を商社に任せていた。
しかし、消費者向けの商品をつくりながら、消費者の顔が見えない。
やがて、 問屋で長期間倉庫に寝たまま品質が低下したり、欠品が出たりと問題が出てきた。
このため、安藤は商社のルートは通すが、販売促進や問屋の組織化は安藤の日清食品が直接することになった。商品に絶えず目を配り、小さな変化を、動きを見逃さないためである。

森永太一郎
森永は商道徳を重んじた。
幼い頃叔父から学んだ「商人として正当な商品を扱い不正直な物を売買しない」という教えを忠実に守った。
品質への手抜きは一切許さず、またライバル会社がキャラメルの値下げを仕掛けてきてもそれに乗らず、そのためかえって森永の商品の評判を高めたという。
ウィスキーボンボンが売れゆきがよくても、ある教師から「少年少女の頭に害を与えるので、本場イギリスでも製造していない。」と指摘を受けると、その日のうちに製造中止してしまった。

松永安左エ門
現在の東京の電気事業は事実上一社独占であるが、大正の終わりごろ激しい競争の時代があった。
当時東京の電力を牛耳っていった東京電燈という会社の地盤に松永率いる名古屋、九州を地盤とする東邦電力が殴り込みをかけたのである。
松永は東京電力(現在の東京電力とは軌を一にするが無関係)という会社を設立し、東京電燈を攻撃した。
当時東京電燈は独占にあぐらをかき、「電気を供給してやっている」 という姿勢で、料金も高価なままで顧客も評判もよくなかった。さらには、政界との癒着、乱費などひどい状態だったという。
松永は、「低廉、良質、サービス」を営業方針とした。
巨大な発電所をたて、安価な電気を大量に供給する。そして東京電燈が相手にしない郊外でも電線を引く。
当初は、東京電燈から相手にもされていなかった東京電力は、鉄道事業者をはじめ次々に顧客を奪い、東京電燈を追い詰めていった。

柳井正
1995年のこと、ユニクロを手がける柳井は顧客の不満を聞くために雑誌に「ユニクロの悪口言って1000万円」という広告を出した。
すると集まったクレームは1万通!
中には「1回洗っただけなのに糸がほどけた。」「首のところが伸びてしまった。」と読む気も失せるような手紙もあったという。
しかし、柳井は著書「一勝九敗」でこう書いている。
「読んでいると気分が落ち込んだが、その当時の私達の到達水準を知る上では非常に役立った。」
「ユニクロの品質向上には、現場で学んだ失敗の数々が大きく寄与している。常に『現場を知る』ことこそ経営の原点だと今も考えている。

伊藤雅俊
伊藤も、クレームはとかく上にあげたくないことだが、伊藤自身はクレームは大切な財産であると考えたい、という。
例えば、食品に問題があってクレームがつけられても、言い逃れをするのではなく、自分の子供が食べたらどうするかという気持ちで対処すべきで、それが商売にたずさわるものとして当然であると言っている。

鈴木敏文
鈴木は、「我々は売り手であるのと同時に買い手である。買った食べ物がまずければ、なんでこんなまずいものを売っているんだと文句をいうくせに、自分の店でお客に文句を言われると、なんてわがままなんだと思う。誰も売り手であるのと同時に買い手であるのだから、買い手の気持ちになって考える事は誰でもできるはずだ。」と言っている。

小倉昌男
小倉は宅急便のサービスレベルの向上のため、「翌日未達率」という指標に注意をはらっていた。
宅急便は「翌日配達」を売り物にしているため、それに届くことが、郵便局の小包との差別化につながると考えたからだ。
しかし、いっこうに良くならない。しかも、遠隔地でなく東京23区内が一番悪いのだ。
原因を探ると、家までは翌日に持って行っても、留守の場合が多く、結局翌日には届いていなかったのだ。
ここで小倉は「ヤマト運輸の社員は、届かないのは居ないのが悪いと考えるだろうが、これは供給者側の論理だ。お客様からすれば当然居ないときに来るのが悪い、と考えるだろう。」と思った。
こうして、在宅時配達に切り替え、夜8時まで配達時間を延長した。
サービスレベルは格段にあがったことは言うまでもない。

増田宗昭
増田は、「頭は百パーセント客のために使え」と言い、手形を出してあれこれ資金繰りで悩まず、客商売なのだからお客さんのためになる本来の仕事に頭を集中せよと言っている。
また、「客のいうことは聞くな。客のためになることをなせ」とも言い、お客さんからの不満や希望に耳を傾ける以前に、お客さんにとってベストの対応をせよとも言っている。

▼ まとめ

お客様のことを考えるのは、当たり前のことで、それを常に考え続け、日々改善を進めていく。
クレームがあがるのは仕方がないが、それから逃れるのでなく、相手の立場に立って事態に対処し、製品・サービスの完成度を高めていくことに商売繁盛の秘訣がある。

 

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