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専門知識−事業への精通度
起業家に必要な「技量」とは?
独立を考える際に必ず考えるのが、「手に職があるか?」ということである。
手に職がなければ収入への道が立たれる。収入がなくては事業の存続さえ覚束ない。
偉大な起業家は皆技量を持ってスタートしたのだろうか?
▼ 実例 その1 <技量を既に身につけていた>
浅野総一郎
浅野は、事業をはじめるときは、まず自らが技術の習得に励んだという。
浅野の飛躍のきっかけとなった深川セメントの買収にあたっても、なんども工場に出入りし、ずぶの素人がいつの間にか専門家以上の知識を身につけてしまったという。
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増田宗昭
増田は、「蔦屋書店」(現:TSUTAYA)を創業する前、ファッション専門店の鈴屋で店舗開発、販売促進に携わっていた。
また、「副業」として経営していた貸しレコード店が盛況であったからこそ、脱サラして、起業する決断をくだした。
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五島慶太
五島が東京横浜間の鉄道を計画している武蔵電鉄に役員として迎えられ、私鉄経営に身を投じるまでは、鉄道院監督局総務課長という地位にあり、私鉄関係者を監督する立場として、権威ある地位にいたという。
ここでの私鉄関係者とのつながり、業務で培われた経験、そして役所内での人脈が、その後の鉄道経営におおいに役に立ったことはいうまでもない。
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安田善次郎
安田は、27歳で独立し両替屋兼海産物店「安田屋」を開いたが、
@両替屋で重宝される能力であった、金銀の判定を肉眼でする能力を持っていた。当時幕末の世の乱れで偽の通貨が流行し、真贋の見極めは両替屋の生命線でもあった。
A海産物の販売の経験も持っていた。
これらは、独立以前に奉公していた両替店で身につけた能力であった。
独立後も安田屋は両替屋はもとより、海産物問屋としても大盛況であった。
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本田宗一郎
本田が「浜松アート商会」の看板で独立をし、自動車修理業をはじめたが、周囲の予想を裏切り大繁盛した。
これは東京での修行時代に磨いた修理技術が、「本田のところに行けばなんとかなる」という評判になったからだという。
ある日歌手の藤山一郎が、関西からの公演帰りに高級自動車が浜松でエンコしてしまった。
あきらめて車を残して汽車で帰ろうとしたところ、近所の人が
「浜松アート商会に行けば何とかなるのでは」
と薦めるので、期待せずに持ち込んだところ、原因をあっという間に探し出し直してしまったという。
藤山は感激し、このとき以来藤山と本田は親友となったという。
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▼ 実例 その2 <素人であった>
藤原銀次郎
藤原が三井銀行に入行して間もなく、深川出張所の主任に任命された。
深川では倉庫の物品や米を抵当にして貸す業務が主力で、預金には力をいれていなかった。
しかし藤原は、貸すだけでなく、預金もやればお客さんにも便利だし、銀行の利益にもなのではと考えた。
藤原は一計を案じ、勧誘の広告ビラをまくことにした。当時、銀行は「預ってやっている」という状態で、その銀行が広告を行うのは一種の恥辱にも等しいことであった。
藤原は、銀行の経験もまだ1年少しと素人同然であり、自分のやることに内心不安にもなる。
予想通り銀行の内部からも大反対が起きたが、やがて面白いように預金が集まるのをみて、反対にも屈せず新しいビラを撒きまくった。
そうこうするうちに、当時銀行の実権を握っていた専務理事の中上川彦次郎から手紙が届いた。
それは昇給の辞令であり、「誰がなんと言っても構わないから、お前の好きなようにやれ。」という手紙であった。
藤原は、後に「経験を持って判断するのも無論良いことで、必要であるが、思い切ったことをしようというときはむしろ経験に拘泥しないことも必要だと思う。」と述べている。 |
南部靖之
南部が大学卒業直前に人材派遣会社をスタートさせたときは、全く経験がなかった、というか人材派遣というビジネス自体存在しなかった。
たまたま面接にいった会社の人事担当者が、
「億単位のカネがかかる正社員としてでなく、忙しいときにだけ人を雇い入れられれば、苦労はしないのだが・・・」
という言葉でひらめくものがあったのだという。
そして素人だからこそ、南部既存の発想や考え方にとらわれず吸収も早かったのだ、と言っている。 |
鈴木敏文
鈴木がセブンイレブンを立ち上げたとき、小売の経験自体は素人であった。
イトーヨーカ堂でも鈴木の仕事は商店街との折衝、広報であり、現場での経験はなかった。
また、スタートで集まった人材も見事なまでに小売の素人であった。
しかし、素人であるからこそ、
@「流通業界ではスーパーのような大きいものがいいこと⇒コンビニというニーズの開拓」
A「商品配送は各メーカーバラバラ⇒共同配送方式」
B「問屋からの仕入れはまとまった単位での発注⇒小分け配送」
というような従来の流通の常識にとらわれないモデルを構築できたのである。
鈴木は、「壊し創ることがセブンイレブンの創業精神」と言っている。 |
▼ まとめ
技量があるにこしたことがない。技量がすぐれていればいるほど、経験があればあるほど一定の成功は保証される。
しかし既存の発想や考え方にとらわれず、非常識といわれるような「素人発想」が一大事業を築き上げていくという点もそれにもまして重要である。
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