五島慶太(ごとうけいた)

▼ 略歴

1882年
(明治15年)
 
長野県生まれ。
1906年
24歳
東京高等師範卒。英語教師に。
1911年
29歳
東京帝国大学法学部卒業。
1913年
31歳
鉄道省入省。
1920年
38歳
武蔵電気鉄道(田園都市会社の鉄道部門、のちの東横電鉄)常務。
1922年
40歳
目黒蒲田電鉄(現:東急目黒線、多摩川線)専務。
1928年
46歳
目黒蒲田電鉄、田園都市合併実質的な支配権握る。
1933年
51歳
池上電鉄(現:東急池上線)買収。
1934年
52歳
東京発のターミナルデパート東横百貨店(現:東急百貨店)渋谷に開業、東京高速鉄道(現在の営団銀座線渋谷〜新橋)常務。
1936年
54歳
東横電鉄、目黒蒲田電鉄社長、玉川電鉄(現:東急田園都市線、世田谷線)買収。
1938年
56歳
三越買収を画策、断念。
1939年
57歳
東横電鉄、目蒲電鉄を合併、東京高速鉄道、東京地下鉄道(現:営団銀座線新橋〜浅草)の支配権を握る。
1941年
59歳
戦時統制法である「陸上交通事業調整法」に基づき、東京高速鉄道、東京地下鉄道合併し、帝都高速度交通営団になり、理事に就任。
1942年
60歳
東横電鉄、小田急電鉄、京浜電鉄合併。東京急行電鉄(いわゆる大東急)となる。
1944年
62歳
運輸通信大臣、京王電気軌道(現:京王電鉄)合併。
1947年
65歳
公職追放。
1948年
66歳
東横百貨店(現:東急百貨店)、京王帝都電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄が分離。
1951年
69歳
追放解除。
1958年
76歳
大手百貨店の白木屋の支配権を握る、東横百貨店と合併。田園都市構想。
1959年
77歳
伊豆急行に免許、逝去。

▼ エピソード

■ 東急グループの創業者
■ 数々の会社買収で「強盗慶太」の異名をとる
■ 元々鉄道省の役人であったが、電鉄経営に転じた後小林一三を師とし、土地開発に注力する。
■ 沿線に東京工業大学(大岡山)、慶応大学(日吉)などを誘致
■ 時中、戦時統制を理由に、小田急、京王、京浜の支配権も握る。

▼ 人物関係表

渋沢栄一 五島が経営に参画した目黒蒲田電鉄の母体田園都市会社の実質オーナー。
小林一三 目黒蒲田電鉄に五島を招請する。鉄道経営について小林から教えを請う。
堤康次郎 箱根の開発をめぐり対立。「箱根山戦争」と呼ばれる。
小佐野賢治 強羅ホテルの売却をきっかけに接近。東京乗合自動車(現:国際興業バス)を売却。小佐野は五島を師と慕う。
利光鶴松 東京高速鉄道の取締役に共に名を連ねる。経営難の小田急を五島に託したとされる。

▼ 参考文献

■ もう一人の五島慶太伝(太田次男)
■ 小説東急王国(大下英治)
■ 土地の神話(猪瀬直樹)
■ 20世紀日本の経済人(日本経済新聞社)
その他一般的な参考文献

   

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