伴侶−起業家の夫人像

起業家の奥さんに適性はあるか。
内助の功ということが聞かれなくなりつつあるが、起業家の妻(夫)はどのような姿を見せているのだろうか。

▼ 実例

松下幸之助
松下が独立して間もない頃は、商売もうまくいかず生活にも窮するほどであったという。
夫人は質屋通いを続けた。風呂屋に行くお金もないので、風呂屋に行こうとするときに話題をそらし、風呂屋に行くのを忘れさせたというエピソードも残っている。
松下は著書「商い心得帖」の中で、商売をする上で対人信用をみるときに、「夫婦仲がよい店」「二人で気をあわせて仕事を進めている店」、「ご主人が外に出れば奥さんが店番をするような店」は信用しても大丈夫と考えていた。

稲盛和夫
稲盛は著書の「ガキの自叙伝」の中でこう書いている。
妻は知り合ってから今までグチひとつこぼしたことがない。京セラ創業のころ、食べるもの、着るものも満足に買えなかったが、不満一つ言わなかった。それ以来、帰宅するのはいつも遅いのだが、必ず寝ずに待っていてくれた。いまさら罪滅ぼしでもないが、『豪華客船に乗せてやろうか』と聞いたことがある。答えは決まって『そんなん要りまへん』。」

本田宗一郎
本田の夫人のさちは、結婚式その日から本田に驚かされる。
お色直しの間、本田は芸者に三味線をひかせてどんちゃん騒ぎをしていたからである。
夫人は、本田をよく支えた。
本田が終戦直後、収入もなく遊び暮らし、貯金を食いつぶす日々であったときも、
「あの人はきっと何かやる人だ。」と信じて疑わなかったという。

根津嘉一郎
根津は、著書「世渡り体験談」の中で、「 健康で貞節で、何事にも耐えていかれる意志の堅固な、情操の発達した、常識の優れた夫人を娶るべきである。」と言っている。

小林一三
小林一三の夫人は幼い頃御者に「このお嬢さんの旦那さんは、この子を奥さんに持てば必ず出世する」と言われたことを信念として確信していたという。
小林も著書「逸翁自叙伝」で彼女の全てに満足していたと述べている。
また、小林著書「私の行き方」の中で、実業家の妻の条件として「時代を理解して社会的に訓練された、常識の発達した実際的な女」と述べている。またこうも言っている。
「古今を通じて名を成した故人の半面には、必ずやそこに隠れたる夫人の努力が潜んでいる。」

松本清
松本清の夫人は地元の名家の娘で、松本とは「育ちが違いすぎ」、近所では「長くは続かないだろう」という評判であった。苦労や我慢が多い生活の中で夫は妻にこういうメッセージを送った。
「達観するな、増長するな」
夫人は寝る間を惜しんで夫の片腕として、家事はもちろん、商売にあるいは選挙に働きまわっていたという。
松本がのちにこうも語ったという。
「非の打ち所のない女房を持った男でも、浮気をしたいと思うのはなぜか?それはこちらの女の方が女房よりも尽くしてくれるのでは?という期待感をもつからだ。だから女が徹底的に男に尽くせば、男も申し訳なくて浮気なんかできない。

安藤百福
安藤が日清食品を創業した頃、家族が協力し合って、分担して仕事に取り組んでいたという。
安藤も著書「苦境からの脱出」の中で、
夫婦は同じ舟に乗っている。言い争いをして鉄の棒で船底をつつきあえば、船は沈み二人とも溺れてしまう。ビジネスマンにとって、協力し、理解しあえる家族は欠かせない。」と言っている。

浅野総一郎
浅野総一郎のサク夫人も、働き者で有名で従業員の面倒をよくみた。
浅野が経済界でも地位も資産も築いていたある日のこと、箱根で保養中の渋沢栄一は感動的な光景を目にした。
それは山道の勾配を浅野総一郎が子供を背にした夫人とともに、駕籠にも乗らずに、せっせと登っている姿であった。
偉くなっても少しも贅沢をしない浅野の信じられないような光景に渋沢はいたく感激したという。
サク夫人の死後、浅野は群馬県の当時東洋一の水力発電所に「佐久発電所」と名づけた。

▼ まとめ

事業を立ち上げる苦労を分かち合い、共に寝る間を惜しんでまで働ける夫人の存在もまた偉大である。
夫は夫、妻は妻という風潮となり久しいが、共同作業の中で成し遂げられる事業は、余りにも偉大であり、尊いものである。

 

このページはあなたのお役に立ちましたか?
もしお役に立てたようでしたら、日本を元気にするため、知り合いにも教えてあげてください。

   

2003(c)Success Institute Japan All Rights Reserved