渋沢栄一(しぶさわえいいち)

▼ 略歴

1840年
(天保11年)
 
埼玉県生まれ。
1863年
23歳
尊皇攘夷運動に参加するため親に勘当してもらう。京都に行き一橋家に仕える。
1866年
26歳
一橋家当主慶喜が十五代将軍となる。
1867年
27歳
徳川昭武に従いパリ万国博覧会に出席。帰国後静岡に隠居した慶喜の下で「商法会所」という会社に似た組織をつくる。
1869年
29歳
商法会所の手腕が見込まれ、新政府の大蔵省入省。
1873年
33歳
大蔵省を辞める。
1874年
34歳
第一国立銀行(現:みずほ銀行)設立。頭取就任。抄紙会社(現:王子製紙)設立。
1875年
35歳
商法講習所(現:一橋大学)設立。
1878年
38歳
東京海上保険会社設立。
1880年
40歳
大阪紡績会社(現:東洋紡)設立。
1883年
43歳
共同運輸(現:日本郵船)設立。
1885年
45歳
東京瓦斯(現:東京ガス)設立。
1887年
47歳
帝国ホテル落成、理事長に就任。
1888年
48歳
札幌麦酒(現:サッポロビール)設立。
1889年
49歳
石川島造船所(現:IHI)設立。
1891年
51歳
東京商業会議所会頭就任。
1897年
57歳
渋澤倉庫部(現:渋澤倉庫)設立。
1916年
76歳
第一銀行頭取を辞し、実業界引退。
1918年
78歳
理化学研究所設立。
1931年
91歳
逝去。

▼ エピソード

■ 第一国立銀行ほか500社あまりの会社の設立、資本主義確立に尽くす
■ 幕末は尊王攘夷運動に参加するも、徳川家に仕えることとなってしまう
■ 幕末、明治と仕えた徳川慶喜についての伝記も残す
■ 居宅跡は北区王子の飛鳥山にある
■ 私利私欲の経営を嫌い、財閥、独占などを好まなかった

▼ 人物関係表

岩崎弥太郎 三菱の海運業の独占に反発。共同運輸会社を設立して対抗。
浅野総一郎 浅野の事業家としての才覚を見出し、浅野に官営深川セメントの払い下げの斡旋をする。

▼ 参考文献

■ 青淵百話(渋沢栄一)
■ 雄気堂々<上、下>(城山三郎)
■ 小説渋沢栄一(童門冬二)
■ 20世紀日本の経済人(日本経済新聞社)
その他一般的な参考文献

   

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