利光鶴松(としみつつるまつ)

▼ 略歴

1863年
(文久3年)
 
大分県生まれ。
1881年
17歳
地元の名門帆足塾に入塾。
1884年
20歳
上京。
1885年
21歳
五日市小学校の教員になる。
1886年
22歳
明治法律学校(現:明治大学)入学。
1887年
23歳
代言人(現在の弁護士)試験首位合格。代言人事務所開業。
1890年
26歳
政治運動に参加。再興自由党に加盟。
1896年
32歳
東京市会議員当選。
1898年
34歳
衆議院議員当選。
1899年
35歳
東京市街鉄道(現:東京都交通局)出願。顧問として加わる。
1905年
41歳
東京市街鉄道取締役。
1906年
42歳
東京市街鉄道、東京電気鉄道、東京電車鉄道合併。東京鉄道会社となる。
1910年
46歳
鬼怒川水力電気創立。社長。
1911年
47歳
東京鉄道会社を東京市が市有化(現在の東京都交通局へと続く)。京成電車(現:京成電鉄)会長。千代田瓦斯(現:東京ガス)社長。
1920年
56歳
東京高速鉄道(現:営団地下鉄銀座線渋谷〜新橋)認可。
1923年
59歳
小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)創立。社長。
1927年
63歳
小田原急行鉄道開通。
1940年
76歳
帝都電鉄(現:京王井の頭線)、小田原急行、鬼怒川水力電気合併、小田急電鉄と改称。
1945年
81歳
逝去。

▼ エピソード

■ 小田急電鉄の創業者
■ もともとは代言人(弁護士)、東京市会議員、衆議院議員から実業界へ転向という異色の経歴を持つ
■ 東京市街鉄道の認可が競合した際まとめ役として奔走。鉄道事業への関わりのはじまりになる。

▼ 人物関係表

雨宮敬次郎 東京市街鉄道の設立時に認可が競合しているのを利光がとりまとめる。また、雨宮を社長に推す。
根津嘉一郎 ともに東京鉄道会社の取締役として名を連ねる。
五島慶太 経営難になった小田急を利光は五島に託したとされる。

▼ 参考文献

■ 明治の気骨利光鶴松伝(渡邉行男)
その他一般的な参考文献

   

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