販路開拓−新商品が売れるまで

売れない商品が売れたわけ
起業をしてまず悩むのが、お客さんが見つからないこと。
斬新な商品であればあるほど、お客さんや販売を行ってもらう問屋、代理店の理解を得ることは難しい。
理解を得られても浸透するのには時間がかかる。
偉大な起業家はこの困難をどのように切り抜けたのか?

▼ 実例

井深大
昭和24年井深は念願のテープレコーダーを試作完成させた。
「これなら売れる。」との確信をもった商品であったが、予想に反して全く売れなかった。
縁故を頼ってようやく24台を裁判所の速記録用に納入できただけだった。
なぜ売れなかったのか?
それは重さが45キロもあり、価格も16万円したのだ(当時の初任給が2,000〜3,000円)。
井深は米国のテープレコーダーのパンフレットを取り寄せ、使い方を勉強する。
そして商品ももっとポータブルなものにする。
ある日井深は、学校で視聴覚教材を導入するために予算を組んでいることを耳にし、H型(ホーム(家庭)の略)を13万円で製造し、盛田昭夫が教師の前で実演販売した。こうしてテープレコーダーは売れ始めた。
井深はさらに軽く、廉価で使い勝手のよいものを追求し、P型(ポータブルの略)は3,000台、M型(Movieの略)はそれよりも売れたという。

稲盛和夫
稲盛も新規のユーザー獲得には自ら先頭に立って売り込みを行った。
見本品に興味を示してくれる会社の中には、当時の技術では不可能なオーダーがくる。
稲盛は即座に「やります。」と引き受けたという。
これは、既存のメーカーが作れるのであれば、信用のない自社に注文が来るはずがないと考えたからある。
無名だった京セラは他社ができないもの、断ったものを受注し、新しい技術に挑戦することで、技術力を高め、少しずつ顧客を増やしていった。

小林一三
小林が箕面有馬電気軌道の経営を引き受けたとき、この会社の将来を明るく見るものはいなかったという。
この電車の建設予定区間の沿線は田畑しかなく、「ミミズ電車」と呼ばれ乗降客は期待できなかった。
小林はどのように電車経営を行ったか?
まず、会社の事業計画を「最も有望なる電車」としてパンフレットにした。
会社案内をつくることは当時はめずらしかった。
次に路線の沿線の土地を買い、住宅にして販売する。いわゆるデベロッパーである。
今でこそ私鉄経営に住宅開発は当たり前になっているが、これは小林がはじめて行ったものである。
幸いこの電車を有望と思うものは少なかったこともあり、土地買収はスムースにすすみ、住宅販売は大成功を収めた。
小林はこの後も乗降客増加のため遊園地、宝塚歌劇団、ターミナルデパートなど数々の工夫をこらし、阪急の基礎を固めた。

五島慶太
五島は、鉄道経営については、ことあるごとに小林一三から助言を請うた。
沿線の土地の開発、渋谷のターミナルデパート(今の東急百貨店)などは、まさに小林のアイデアを真似たものである。
こういう乗客を増加させる試みの中で、五島が考え出したアイデアが、「大学の誘致」である。
五島は沿線の土地を寄付もしくは元々の土地と交換を申し出て、日吉の慶応大学や大岡山の東京高等工業(現:東京工業大学)をはじめ、第一師範(現:学芸大)、府立高等学校(現:都立大)、日本医科大などの大学を沿線に誘致した。
沿線誘致で乗降客は増加し、また大学周辺の地価は上昇した。

森永太一郎
米国から帰国した森永は早速東京赤坂に西洋菓子製造所を創業した。
当時は和菓子が全体の9割で、世間に洋菓子は浸透していなかった。
案の定菓子屋には、なかなか置いてもらえず、注文が全くとれなかった。
森永は、四角いガラス張りの箱車を作らせ、それを引いて、人目を引く作戦に出た。
ものめずらしさからついて来る子供には、惜しげもなく菓子を与えた。将来の顧客と見込んでのことである。
やがて、外国の公使の夫人が定期的に購入するようになり、口コミで少しずつ評判が広まり、やがては明治天皇に献上されるまでになる。
宮内庁御用達のうわさは世間に広まり、森永の洋菓子は飛躍を遂げることになった。

安藤百福
安藤がカップヌードルを完成させ、いよいよ問屋に持ち込んだものの、その反応は悪かった。
「災害用にしか使えない。」「100円は高い。」「立ったまま食べるのは行儀が悪い。」
安藤は既存ルートで売ることに早々に見切りをつけ、消費者に聞いてみる作戦にでた。
銀座の歩行者天国にカップヌードルの店を開き、モデルが食べ歩くパレードを展開した。
そして、あっという間に数万食が売り切れたという。
また、お湯が出る自動販売機を開発し官庁、病院、学校、百貨店に置いた。
やがて、カップヌードルの爆発的な売れ行きに、問屋も態度を変え、売らせて欲しいと申し入れてきたという。

▼ まとめ

新しい商品は顧客に浸透するまでにやはり時間がかかる。大切なのは、本当にその商品をすぐに欲しがっている顧客をいち早く見つけ出すこと、そして顧客にあった商品に少しでも近づけることである。
結局のところ販路開拓においても、エンドユーザーの声にどれだけ早く確実に近づけるかが、重要なポイントになる。

 

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