自主独立−誰にも頼らない心がけ

独立独歩なくしては事業は広がらない。
サラリーマンと起業家の最大の違いといえば、自主独立しているかいなかであると考える。
形だけ「独立」をしても、誰かに頼ろうという他力本願では成功は覚束ない。
まずは、自分自身は一人でもやっていくという独立心が肝要であると考えられる。
偉大な起業家はどのような心構えで、事業に臨んでいるか?

▼ 実例

根津嘉一郎
根津は、著書「世渡り体験談」の中で「人の世話をするとも人の世話になるな」と言っている。
根津は、葬儀と言うような人の悲しみのときこそ努めて出向き、お金を借りるときも決して無担保では借りず、きちんと期限までに返済をしていたという。

雨宮敬次郎
雨宮は、どんなに貧乏しても人に金を貸してくれといったことがなかったという。これは、「恩人をつくると世間が狭くなる。」という雨宮の父の教えをかたくなに守ったからであるという。28歳で相場に失敗し、一文無し、おまけに家が火事で焼け窮地に立たされたときも、お金を貸そうという友人の申し出を全て断った。

小林一三
小林は、大正3年大ピンチを迎える。
メインバンクであった北浜銀行が破綻してしまったのである。頭取の岩下清周は疑獄事件で逮捕されてしまう。今まで世話になっていた人もわれ関せずという状態。
このピンチに臨んで、小林は著書「私の行き方」の中で心境の変化をこう述べている。
「それで 僕は非常に人間というものは、どうもいざとなると頼みがたいものだ。実に薄情なものだ。こういう世の中と知ったら僕は不仰天地に恥じず、どこへ行っても頼んじゃいかん。自分で自分の思うことを正々堂々とやるより行く道はないということを考えた。〜(略)〜由来、僕は誰にも厄介にならんという一つの事実、今日までプラスばかりでやっている。」
小林は、自分で独立独歩でやるんだという意思を固め、株を自らも買い増し、阪急、東宝グループを拡大させていった。

小倉昌男
小倉が宅急便事業を展開しようとしたとき、ひとつの大きな壁が立ちはだかった。
路線トラックの免許がなかなかおりないのである。ときには5、6年放置されたこともあったという。
周囲では、政治家の口利きで解決してもらうよう助言した人がいた。免許を与えないよう反対運動をしていた業者が政治家を使っていたからであるが、小倉はこれを拒絶したという。
著書「経営学」によると、「こちらが違う”先生”に頼めば、先方の”先生”の顔を立てて、足して二で割る妥協案を出すに違いなかった。」からで、「中途半端な解決などしたら、百年の悔いを残す」と考えたからだという。
小倉はあくまで行政訴訟という自助努力で免許を獲得していった。

柳井正
柳井の経営するファーストリテイリングの経営理念の一つに「いかなる企業の傘にも入らない自主独立の経営」を掲げている。
著書「一勝九敗」によると「自分達で考えて自分達でやるようにしないと、全ての仕組みを変えることができない」からだという。
自らが商品の開発から販売までを手がけているからこそ、ユニクロは他のアパレルのような危機を迎えることなく、順調に業績を伸ばせたと考えている。

稲盛和夫
稲盛は、「渦の中心で仕事をする」ことを訴えている。
著書「心を高める経営を伸ばす」によると、他人との協力で仕事を進めるにせよ「自分が渦の中心にいて、周囲を巻き込んでいくような仕事の取り組み方をしなければ、仕事の喜びも、醍醐味も知ることはできない。」と言っている。

松下幸之助
松下は著書「実践経営哲学」の中で自力中心の重要性を説いている。
自力中心でやることで、外部の信用も生まれ、求めずして他力が集まってくるということもあり、これこそが「世間の姿」である
からだという。

▼ まとめ

むろん一人では、大きな仕事はできない。しかし自分自身が独立独歩誰の世話にならないという心がけで、物事を進めることで、他人も集まってきてより大きな事業へと拡大する。文字通り「天は自らを助くるものを助く」である。

 

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