雨宮敬次郎(あめみやけいじろう)

▼ 略歴

1846年
(弘化3年)
 
山梨県生まれ。
1858年
13歳
通っていた漢学塾を退塾し、仲買人をはじめる。
1872年
27歳
横浜に出て、銀相場に手を出す。
1873年
28歳
生糸、蚕種などの売り込み業を営む。
1876年
31歳
アメリカとイタリアを視察。
1877年
32歳
石油取引を始める。
1879年
34歳
製粉業を始める。
1884年
39歳
肺病のため死を覚悟し浅間山麓に土地を購入。開拓、植林を始める。
1888年
43歳
甲武鉄道(現:JR中央線)取締役。
1891年
46歳
第1回藍綬褒章受賞。川越鉄道(現:西武国分寺線+新宿線の一部)発起人。
1892年
47歳
鉄道国有化論発表。
1893年
48歳
北海道炭鉱鉄道(現:JR北海道の一部)取締役。東京市街鉄道(現:東京都交通局)、京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)発起人。
1894年
49歳
豆相人車鉄道(小田原〜熱海間) 創始。日本鋳鉄会社社長。
1895年
50歳
京浜電気株式会社社長。
1901年
56歳
東京商品取引所理事長。
1902年
57歳
東京市街鉄道会長。
1905年
60歳
江ノ島電気鉄道(現:江ノ電)社長。全国各地に軽便鉄道を設立させる。
1910年
65歳
逝去。

▼ エピソード

■ 山梨の仲買人から身を興した若尾逸平と並び称されるいわゆる「甲州財閥」の一人
■ JR中央線、西武線(国分寺〜川越)、江ノ電、都電などの基になる鉄道を次々に興す
■ 銀などの相場で失敗してからは投機をやめ、実業に専念する
■ 肺病で死を覚悟し「墓場を作るために」浅間山麓の土地を買い、700万本あまりの植林を行う
■ 軽便鉄道を各地に興し「軽便王」の異名をとる

▼ 人物関係表

根津嘉一郎 根津の先輩にあたる雨宮は「相場師」である根津に実業界への転進をすすめる。
安田善次郎 豆相人車鉄道で金融面から安田の支援を受ける。東京〜大阪間の弾丸列車を共同で計画。

▼ 参考文献

■ 過去六十年事蹟(雨宮敬次郎、三輪正弘編)
その他一般的な参考文献

   

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