目標設定−偉大な起業家に学ぶ目標の定め方

べらぼうな目標が偉大な活動の源泉?
成功したくない人などいない。 ところで成功の秘訣は?と問われると
「自分のやりたいことを徹底的に分析把握して、目標を明確に設定する。」
どの成功哲学書も、まずは、自分の願望を明確にして目標設定をすることの大事さを訴えている。
果たして偉大な起業家はどうであろうか。

▼ 実例

本田宗一郎
今から50年ほど昔の昭和29年のこと、ホンダは行き詰まっていた。
販売不振に加え積極的な設備投資が裏目に出て、倒産寸前まで追い詰められていた。
窮地に立たされた本田は、ここで敢えてとてつもなく大きな目標をかかげた。
それは、 国際的なオートバイレースである「マン島T・Tレース」への出場することだ。
当時日本のオートバイの技術は低く、 業界は無謀な挑戦と嘲笑した。
しかし、 本田は「大変な目標だ。だからこそチャレンジするんだ」と激を飛ばし、研究に没頭したという。 窮地にべらぼうな目標を設定することで社員そして何よりも自分を奮い立たせた。
そして6年後にはグランプリをとってしまうのである。
その後もF1など様々な挑戦が続いたことは言うまでもない。

井深大盛田昭夫
ソニーが設立にあたり「設立趣意書」を起草したことは有名である(ソニーのHPで閲覧可)。
この趣意書には、「自由闊達なる理想工場の建設」と「軍国主義からの転換期にある日本の再建」といった、一町工場にしてはとてつもなく大きい目標に掲げている。
そして、ソニーはトランジスタラジオをはじめとして日本の再建、輸出増大に貢献した。

浅野総一郎
浅野が、川崎鶴見沖の150万坪を埋め立てる計画をぶちあげたとき、投資しようと思うものはいなかった。
いったい先がどうなるかもわからないような、とてつもない計画に出資して見返りがあるのか、人々は思った。
しかし、そこに世界に通用する日本の大工業地帯をつくり、東京・横浜の発展につなげたいという遠大な理想があったからだ。
この遠大な事業の資金面を面倒を見てくれる人が現われた。
それこそが、安田善次郎である。
やがて埋立は進み、浅野セメント、日本鋼管などの有力企業が次々に埋立地に進出し、現在でも鶴見一帯は京浜工業地帯の中核となっている。

安田善次郎
安田は「足るを知らず、飽くなきの人」であったと言う。
十万を積めば、百万を目指し、百万を目指せば、千万、一億・・・と目指そうとしていた。
そして、この特性こそが、裸一貫から一代で安田財閥を築く結果になったと言われている。

松本清
松本清が松戸に薬局「松本薬舗」をを開業した後、「なんでもいいから日本一になれ」を口ぐせにして、日本一の薬局になるべく薬を売りまくったという。
実際マツモトキヨシは、現在日本一のドラッグストアチェーンになっている。

南部靖之
南部も目標は大きければ大きいほどいい、と言っている。
自分がこうなりたいと思う大きさ以上に、実際になることはないわけだから、どれだけ大きな志を抱けるかがその人の将来を決めてしまうからである。

柳井正
1991年のこと、29店舗のカジュアルウェアや紳士服を販売する店舗を運営していた柳井は、社名と同時に、社員の前でとてつもなく大きな目標をぶちあげた。
「毎年30店舗ずつ出店し、3年後に100店舗そして株式公開を目指す。」
柳井には、この目標には裏付けられた綿密な計画があり、実現には自信があった。
そして、 毎年着実にこの目標を達成していき、現在、こうして急成長したカジュアルウェアショップ「ユニクロ」では500店を超えるまでになっている。
柳井は著書「一勝九敗」の中で「人は安定を求めるとそこで成長が止まるので、高い目標を持つことが重要。到底無理だと思う目標も、綿密に計画を立て、実行の足跡と比較し、修正していけば大概うまくいく」と言っている。

藤田田
冷徹な商人と言われる藤田田だが、マクドナルド開業に当たっての動機は「日本人の体格の向上(国際競争力を高めるため)」「日本の国際化」であったという。「ハンバーガーで日本人を金髪にするんだ。」と藤田は真顔で言うのだという。

中内功
中内功は常に「流通革命」を標榜していた。流通革命とは安価な商品を提供し続けることで消費者の利益をあげることである。ダイエーの欠けたオレンジの円マークは、自らの革命が完成していないことを表しているのだという。

稲盛和夫
稲盛が京セラを創業した頃は、どんなお客様の要求にでも応えることを身上としていた。後発の会社はそうでもしない限り受注はとれないと考えたからである。そして、厳しい顧客の要望に一つ一つ応えていき、ついにはIBMの受注を獲得するまでに技術力を磨き、ここで得た評判から飛躍のきっかけをつかむのである。
稲盛は酒でも飲めば必ず「日本一、世界一になってやる」とお題目のように唱えていたという。

孫正義
孫は、20代にして「人生の50年計画」があったという。
20代で事業に名乗りを上げる
30代で1000億軍資金を貯める
40代で1兆円、2兆円投資できるような勝負を賭ける
50代で完成させる
60代で後継者に譲る。

▼ まとめ

どの偉大な起業家もとてつもない大きな目標を掲げ、それを日々の活動のエネルギーに変えている。
アメリカの著名なコンサルタントであるJ.C.Colinsが著書「ビジョナリカンパニー」の中で、永続的に成長し続ける偉大な企業の特徴としてBHAG(Big Hairy Audacious Goals:容易には達成できない大きな目標)があることを挙げているが、偉大な起業家も崇高かつやりがいをもって人生に取り組める大きな目標を、自らに課しそれを日々の活動の原動力としていることがわかる。

 

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