岩崎弥太郎(いわさきやたろう)

▼ 略歴

1834年
(天保5年)
 
土佐藩地下浪人の長男として高知に生まれる。
1855年
21歳
江戸に行き学者安積艮斉の塾に入塾。
1856年
22歳
父が投獄されたため、土佐に帰国。免罪の訴えがたたり自らも入牢。
1859年
25歳
土佐藩参政吉田東洋の門下生になる。藩の命で長崎へ派遣される。
1860年
26歳
藩費を浪費し無断帰国。解職。
1866年
32歳
土佐商会主任。藩の貿易に従事。
1868年
34歳
明治維新により土佐商会閉鎖。大阪土佐商会での仕事に専念。
1870年
36歳
設立していた土佐開成商社を九十九商会と改称。藩から船を借り受け海運業に従事。
1873年
39歳
三菱商会と改称。
1874年
40歳
台湾出兵の際の軍事輸送を手がける。
1875年
41歳
台湾出兵の功により、政府から補助金を受ける。
1877年
43歳
西南の役の際の軍事輸送を手がける。
1881年
47歳
三菱の海運独占の批判により、政府が共同運輸会社を設立、援助。激しい競争が始まる。
1885年
52歳
逝去。

▼ エピソード

■ 三菱財閥の創始者
■ 台湾出兵、西南の役で明治政府の軍事輸送を担当する一方、政府からの助成金で海運業を独占
■ 個人のトップダウン経営をモットーとする
■ 弥太郎の死後、行過ぎた海運業の競争は政府により中止させられ、共同運輸会社との合併が実現。現在の日本郵船となる。

▼ 人物関係表

渋沢栄一 海運業の独占に反発。共同運輸会社の設立により三菱の独占を阻止しようとする。

▼ 参考文献

■ 岩崎弥太郎(村上元三)
その他一般的な参考文献

お詫び:「たいやき2」様のご指摘により、誤記訂正致しました。失礼致しました。

   

このページはあなたのお役に立ちましたか?
もしお役に立てたようでしたら、日本を元気にするため、知り合いにも教えてあげてください。

← 岩崎弥太郎氏のエピソードも徹底研究。
← 岩崎弥太郎氏の伝記を研究することで、起業家の成功の秘訣を分析しています。

2003(c)Success Institute Japan All Rights Reserved
事業計画なら