浪花節−人情は経営に必要か

合理的ではない、心のつながりがあってこそ信頼感が生まれる。
会社経営には非情な判断が伴うことも多い。
倒産して社員全員を路頭に迷わさないためにも人員整理を断行することもあえてする。
リストラがまさにそれだ。
欧米式のリストラクチャリング手法が叫ばれて久しい昨今、日本の浪花節はもはや通用しないのか?

▼ 実例

稲盛和夫
京セラがようやく軌道に乗りかけた昭和43年、中小企業研究センター賞を受賞した。
賞金は百万円で、他にも4社が受賞した。
賞金の使途を聞かれ、他社は研究開発に活用したのが大半という中で、稲盛は、
「全社員の努力の結果いただいたものであり、みんなに還元するのが筋」
と全社員に赤飯の折り詰めを配り、コンパを再三催して使い切ってしまったという。

本田宗一郎
本田にも人が感動するようなエピソードは事欠かない。
社長を退任したあと、国内そして海外をお礼行脚したという。
また油で汚れた手をした若者とも「その油まみれの手がいいんだよ。俺は油の匂いが大好きなんだよ。」
とためらいもなく握手したという。

藤田田
藤田田は社員と社員の家族のために緊急用のベッドを東京と大阪に確保しているという。
また誕生日を迎えた社員には金一封と休日が支給される。
社員の奥さんの誕生日には花束を贈っていると言う。
世間から「浪花節」と批判されても、「社員やその家族がハッピーならばよいではないか」と意に介さない。

南部靖之
パソナでは、夏になるとスイカとおしぼりを用意しておくという。
これは、まだ会社が小さかった頃、夏の暑い日に南部が外出から戻る際、スイカを買って帰ったところ、社員達に好評で、それから毎日用意しておくようになったという。
これは社員同士の思いやりの心を形成するのに役立っている。

森永太一郎
森永製菓の寄宿舎で風呂焚当番が入院したときいたとき、たまたま地方周りをしていた森永自ら釜焚きをかってでたことがある。
従業員は全く気付かず「当番。ぬるいぞ!」
あとで社長と気付き、平謝りの社員に
「そんな米つきバッタみたいな真似せず、早く温まりなさい。森永製菓の将来はあなた達のような元気な人の双肩にかかっているのです。」と語ったという。
森永は、ポケットマネーで学費を援助したり、孤児には特別の情けをかけたりもした。
これは、自分が早くから孤児になり、苦学したためであろう。

豊田喜一郎
豊田も、日夜仕事に没頭していたが、日々共に懸命に働いてくれる技術陣に対する心くばりも忘れていなかった。
日曜日には迎えを自宅まで差し向けたり、時には巻き寿司いなり寿司を振舞ったり、と家庭的な環境が醸成されていたという。
戦後トヨタが経営危機に陥る際も、人員整理だけは豊田は最後まで反対したという。

堤康次郎
堤も西武鉄道で殉職した社員がいれば、葬儀を主宰し自ら棺をかつぎ、大雪や暴風雨をとおして電車を運転した従業員がいれば自邸に招いて労をねぎらうとエピソードに事欠かない。

安藤百福
安藤も日清食品の急成長の中でも、盆踊り、運動会、クリスマスパーティーと会社が一体となる配慮をし、親元を離れてきている従業員にはトリの丸焼きを一人ずつふるまったという。

▼ まとめ

偉大な起業家は概して人情に厚い。
これはもとよりの起業家の気質によることもあるのだろうが、従業員との信頼感が会社の成長には必須であることを心得ているからこそであろう。
いかに偉大な起業家が人心の掌握に腐心しているかがよくわかる。

 

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